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神戸地方裁判所 昭和61年(わ)202号 判決 1986年7月30日

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和五五年一二月に高校を中退後、スーパーマーケットの店員などをして働いていたが、昭和五七年六月に自動二輪車による人身事故をおこし、右事故により実刑判決を受けて服役し、刑期に終えてからは、鉄工所工員として働いたが、給料に不満をいだいて退職し、以後は定職につかず、昭和六〇年夏ころから、自宅でミニFM局を開設し学生や主婦等を対象に放送をしたり、右FM放送を通じて知り合った神戸市立甲野中学三年生の生徒を相手に被告人宅で賭けマージャンをして小遺い銭をかせいだりする生活を送っていた。

一方、A(本件の被害者)も甲野中学の三年生で、高校進学に備える傍ら家業のクリーニング業を手伝ったりしていたが、昭和六一年二月一九日午後六時半ころクリーニングの品物を届けに行った先でたまたま友人のBに出会い、同人から、「X'(被告人が私設FM放送の放送の際使用していた名前)がA'(被害者Aのこと)のことを『うっとおしい』とか『しばく』言うとったそうや、Cが言うとったで。」と教えられて立腹し、事の次第を被告人に確かめ、場合によっては被告人と喧嘩をしてでも決着をつけるつもりで、右B外数名とともに被告人宅に赴いたところ、被告人から、「Aをしばくなどと言った記憶はない。」旨言われて押し問答となり、更に事の真否を明らかにするため、被告人、A及びB外数名が連れ立って、神戸市東灘区深江南町《番地省略》乙山住宅Ⅰ号棟のC方に赴き右事実の有無を確認したところ、同人も、被告人が問題の発言したことに間違いない旨断言したので、同日午後八時二〇分ころ、被告人らはAに促されて同棟一階ロビーに降りた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年二月一九日午後八時二〇分ころ、前記乙山住宅の一階ロビーにおいて、A・Bの両名と「喧嘩をする、しない」で押し問答をくりかえすうち、「勘弁してくれ。」という被告人の申し出に対し、同人らが聞きとどけてくれそうになかったことから、殴り合い程度の喧嘩ならば致し方ないと腹を決め、これに備えてジャンバーを脱いだところ、意外にもAがナイフ(刃体の長さ一〇・二センチメートル)を手にしているのに気づいて驚き、「ナイフ使うんか。怪我するやんか。自分だけ使うんか。」などと言うや、もう一本のナイフ(刃体の長さ七・五センチメートル)をBから受け取ったAに計二本のナイフを示され、何れか一本を選んだうえナイフを使っての喧嘩に応じるよう迫られたもののこれに従わなかったところ、Aから長い方のナイフを差し出され、しぶしぶこれを受け取ったが、なおもナイフを使う決心がつかず、Aから「お前の歳にあわせて二二歳の喧嘩したる。」「心臓をナイフで突き刺して手首回したら死ぬで。」などと挑発されたのちも、「ナイフ使うのいやや。刑務所行きたくない。素手でやろうや。」と懇願したり、ナイフを使っての喧嘩だけはAに何とか思いとどまってもらおうと努めたが、被告人の態度に業をにやした同人から、ナイフを持った右手で殴りかかられたり、首筋にナイフを当てられ、「お前、ええ加減にせよ。」と脅しつけられるに及び、もはやナイフを用いての喧嘩をやろうというAの意向を覆すことはできず、ここで逃げ出しても自宅に押しかけられる事態を避け得ないと観念するとともに一人前のヤクザのような口のききかたをするAの言動に立腹し、遂にナイフを使っての喧嘩に応じる決意をかため、場合によっては同人を死亡させることとなってもやむを得ないとの覚悟を決め、「よし、やるんやったらやったる。」と言い放ったうえ、右手に持ったナイフを胸の前に構え、同じくナイフを持ったAとにらみ合いながら互いに時計回りに回って攻撃の機会をうかがううち、その距離が二メートルほどになって動きが止まった瞬間、一歩前に踏みこみざまナイフをほぼ水平に右から左へ払うようにAの顔めがけて切りつけ、つづいて、よろめく姿勢になった同人に対し、ナイフを腰の前辺りに構えて前に踏みこみ、体当たりするような格好で同人の前胸部付近を右ナイフで一回突き刺し、よって、そのころ同人を同所付近において、左前胸部刺創による失血により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)《省略》

(殺意の認定についての補足説明)

弁護人は、本件において、被告人には殺意がなく、自らを守るためには本件被害者に対して攻撃を加える以外ないと思い込み、後先のことを考えずナイフを振るってしまったものであると主張し、被告人もこれに沿う供述をしているので、この点について検討するに、確かに、被告人は、被害者の執ような挑発にもかかわらず、二度と刑務所には行きたくないという気持ちが強かったことなどから、ナイフを使った喧嘩には最後まで拒絶的な態度を示しており、また、被害者に対して格別の恨み等をいだいていたわけでもないことからすると、被告人がことさらに被害者を殺害しようという意思を持っていたと認めるのは困難である。しかし、一方、関係各証拠によって検討すると、被告人は、ナイフを持って被害者と対峙した時点において、もはやナイフを使っての喧嘩は避けられず、自分の身を守るためにはやられる前にやるしかないという心境になっていたところ、本件凶器であるナイフは刃体の長さ一〇・二センチメートルの鋭利なものであって、十分な殺傷能力を有することは一見して明らかであり、被告人においてもそのことは十分に認識していたと考えられること、被害者の創管が約一〇センチメートルに及んでいる事実に徴すると、右ナイフはその根元まで刺入されたものと認められ、なんら手加減を加えた形跡が窺われないこと、被告人は被害者の顔に切りつけた後なんらちゅうちょすることなく連続した動作で被害者の身体の枢要部である左前胸部を突き刺していること、被害者からナイフを突きつけられるに至って、それまでナイフを使っての喧嘩に逃げ腰であった被告人の顔付きが明らかに変化したことが、それぞれ認められるのであって、これを総合勘案すれば、被告人がナイフを持って被害者と対峙した時点で、ナイフを使った喧嘩をする覚悟はできており、かつ、前記のようなナイフを身体の枢要部に突き刺せば、相手が死亡することもあるだろうが、そうなってもやむを得ないという未必の殺意が生じたものと認定するのが相当である。

さらに、被告人が、自らを守るためには被害者に攻撃を加えるしかないと考えていた点について検討するに、確かに、被害者は被告人に対しナイフを使った喧嘩を執ように迫り、また、被告人にナイフを突きつけたり、ナイフを持った右手で殴りかかったりしていることは事実であるが、他方、関係各証拠によれば、被害者は、喧嘩を迫ったことはあっても、無抵抗の被告人に一方的な攻撃を加えたわけではなく、また、被告人にナイフを突きつけたりして喧嘩を迫って脅しつけたりする一方では、仲間と縄跳びに興じたりしていたことが認められるのであるから、右のような被害者の態度に照らせば、被告人にナイフを突きつけたりした被害者の前記のような行動も喧嘩の決意を迫るための挑発的な行動に過ぎず、被告人に対する急迫不正の侵害といえないことは明らかであって、被告人がそれを自己に対する急迫不正の侵害であると考えたとしても、本件における被害者の言動それ自体は被告人においてこれを正しく認識していた以上、単に被告人が状況判断を誤ったというだけのことであり、かつ、このような被告人の状況判断の誤りは本件の事実経過に照らす限り軽率のそしりを免れないものといえるので、結局のところ、被告人が自分の身を守るためには相手に対して攻撃を加えるしかないと考えたとしても、そのことによって被告人の殺意に関する前記の認定判断を左右する余地はないというべきである。

(累犯前科)

被告人は、昭和五九年一月三一日神戸地方裁判所で業務上過失致死罪及び道路交通法違反の罪により懲役一〇月に処せられ、昭和五九年一二月二二日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科照会書回答によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入することとする。

(決闘罪ニ関スル件の規定を適用しなかった理由)

検察官は本件において、決闘罪ニ関スル件(明治二二年法律第三四号、以下「本法」・「同法」ともいう。)三条の適用があるとの立場をとって起訴しているが、当裁判所は同法を適用しなかったので、その理由を明らかにしておく。

本法は西欧型の決闘の風習がわが国でも広まるおそれのあることを慮り、その弊害を除去し、社会の治安を維持するため、決闘を禁ずる目的から、明治二二年に制定された特別法であるが、同法にいう「決闘」の意義に関しては、ひろく「当事者間の合意により相互に身体または生命を害すべき暴行をもって争闘する行為」と解されている。

ところで、本件においても、最終的には、被告人と被害者との間でナイフを使った喧嘩(以下「ナイフ闘争」という)をすることについての合意が成立したものと認められるのであるから、本法三条が本件に適用されるとの見解も成り立つ余地のあることは否定できない。

しかしながら、本件の具体的な内容を検討してみると、本件は、被害者らから些細なことで因縁をつけられた被告人が、一時間近くの長きにわたりナイフ闘争に応ずるようしつこく挑発されたり脅されたりしたうえ、被告人があくまでナイフ闘争を拒みつづけると見るや、業をにやした被害者がナイフを持った手で被告人に殴りかかったり、ナイフを被告人の首筋に押し当てたりするに至ったため、被告人においても、被害者の一連の言動に憤慨・激昂するとともに、もはやその場から逃げることもかなわぬ以上、ナイフ闘争を拒絶しつづけるわけにはいかないと観念したすえ、不本意ながらもこれに応じたものであって、ナイフ闘争の合意が成立するまでの経過に特異な事情の存することが特徴的である。

本法が予定している合意が、常に当事者の自由かつ任意の意思に基づくものに限られるとは言い得ないとしても、「決闘」という言葉の持つ日常的な語感に照らし、本件のごとく異常ないきさつの下に形成された闘争の合意をも含むと解するのは「決闘」概念の不当な拡張というべきであろう。

更に、およそ喧嘩と呼ばれる争いにおいては、大なり小なり闘争の合意が存すると解されるところ、これら喧嘩闘争の事案につき本法が無限定に適用されるものでないことは明らかであって、本法の立法目的との関係からしても「決闘」概念の適用範囲には相応の限界があると解すべきである。

以上の諸点を総合すると、本件は、決闘罪ニ関スル件の立法者が想定していた規制対象の射程外にあるものと認めるのが相当であり、刑法一九九条のみを適用すべき事案と考えられる。

なお、念のためにつけ加えるならば、本件において、決闘罪ニ関スル件の規定を適用するか否かという問題は、同一の犯罪事実に対する法的な評価の問題にすぎないから訴因変更等の手続を要するものではないと解する。

(量刑の理由)

被告人の本件犯行は、被害者らがささいなことで因縁をつけてきたことがそもそもの発端であり、最後までナイフを使った喧嘩に消極的であった被告人に対して被害者が執ように挑発したり脅したりしたことによって、ついに最悪の事態を招いてしまったものである。また、被害者及びその友人のBは中学生とはいえ、ナイフを常時携帯しており、被告人に対していかにもナイフを扱い慣れているかのような態度をとっていたことから、被告人としては恐怖心が先に立って事態を冷静に把握する余裕がなかったものと思われ、Bを始めとする周囲の誰もが被害者を止めようとしなかったことなども考えあわせると、本件の結果についてひとり被告人のみを責めるのは酷であると言わざるを得ない。

しかしながら、わずか一五歳の少年の生命を一瞬にして奪い去ってしまった本件の結果は余りにも重大であり、また、本件犯行は被害者の挑発によるところが大きいとはいえ、その挑発に乗ってしまった被告人も軽率のそしりを免れない。さらに、被害者の顔をナイフで切りつけた後、一瞬ひるんだ被害者に対し、間髪を入れず心臓をひと突きにした本件犯行の態様は、当時の被告人に事態を冷静に把握し判断する余裕がなかったということを考慮に入れても、使用した凶器の形状や刺突部位等を考えるならば、極めて死の危険の高い行為であって悪質であると言わざるを得ない。加えて、被告人が被害者の執ような挑発を明確に拒絶して現場から立ち去ることが現実にどの程度可能であったかについては疑いなしとはしないけれども、被害者の年齢及びナイフを使った喧嘩の危険性を考えると、やはり被告人としてはナイフを使った喧嘩には応じるべきではなかったと言うべきであり、また、ナイフを使わない喧嘩であれば応じるつもりでいたという被告人のあい眛な態度が、ナイフを使った喧嘩を明確に拒否できなかったひとつの原因ともなっているのであって、本件のような事態を招くについては被告人自身にも責任の一端があったのであるから、その点において被告人は非難を免れない。

以上の事情を総合すると、本件犯行に至った経緯には被告人に対して酌むべき点が少なくないとしても、なお被告人の犯情は悪質であると言わざるを得ないのであって、被告人がまだ二二歳と若いこと、被告人の母が亡夫の遺族年金を担保に借りた一〇〇万円を被害者の遺族方に持参して慰謝に努め、被害者の父母においてもその誠意を認めて嘆願書を当裁判所に提出して宥恕の意思を示していること、及び被告人は本件犯行を反省し、刑期を終えたらまじめに生活する決意を持っていることなどの被告人に有利な諸事情をさらに考慮しても、なお主文程度の刑を科するのはやむを得ないところであると思科する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 池田美代子 山之内紀行)

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